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【領土問題】江戸末期に対馬がロシアに侵略されたとき 日本はどう対処したか

筆者 事務局

尖閣諸島問題の船長釈放について、官房長官が誤りを認めた。

最初の宣言どおり、国内法にのっとって粛々をすすめるのが筋であったと思う。

テレビで解放された船長の様子をみたが、自分の国の政府の方が、外国である日本よりも怖いのだろうと感じた。言論の自由のない国は恐ろしい。


歴史をみると、北方領土や尖閣諸島、竹島に限らず、日本は常に領土問題に晒されてきたことが分かる。

例えば、1861年ロシアが対馬を占拠した事件。

ロシアの軍艦が対馬にきて、軍艦の修理を言い訳に、港ではないところに勝手に錨を下ろして、勝手に島を測量をはじめて地図を作ったり、山道を切り開いたり、田畑を作ったり、兵舎のようなものをつくったりし、居座ってしまったのだ。

領海侵犯どころか、あきらかな侵略行為。

このとき対馬はロシアに占領されてしまったのだった。

対馬藩の役人が詰問しに行っても全く相手にされない。

この時動いたのが、軍艦奉行の勝海舟。

このときの話が「氷川清話」に載っている。
氷川清話 (角川文庫ソフィア)


勝海舟は、長崎にいた英国公使と仲がよかったので、公使通じロシアの不条理な侵略行為を英国に伝えた。

ロシアの進出を懸念していた英国。

早速北京の英国駐在大使がロシアの駐在大使に談判にいき、対馬問題を詰問した。

日本が掛け合ってもロシアは全く相手にしなかったが、この英国からの詰問で、占拠から約半年でロシアは対馬を去ることになった。

当時は日本は文明国とみなされていなかったので、正攻法で戦っても相手にされない。そこで、しっかりとロシアと張り合える国に依頼して問題を解決した。

結局他国に依頼したワケだが、日本が列強国のパワーゲームに埋没してしまっていたこの時代は、この方法が最適だったのだろう。

勝海舟はこういっている。

「外交上のことは、公法学も何も要ったものではない。ただただ1片の至誠と断固たる決心をもって、上ご一人を奉戴して、四千余万の同胞が一致協力してやれば、なあに国際問題などは屁でもないのさ」

外交に必要なのは、策略や権謀術ではなく
・至誠
・決心
だという。

これらは日本人が古くから大切にしてきた精神。

仙谷さんがとった方法は、国内問題の解決方法としては、衝突を避けるために仕方がない、として理解されるものだったかも知れない。

しかし国際問題では必ずしも通用しないことが、釈放後の中国の挑発的な対応をみていても分かる。


今の日本には「至誠」はあると思う。

しかし、いざという時、厳正に対処するんだという政府の「決心」がない。

政府が「決心」することを、国民が許さない空気がある。

敗戦の後遺症が大きいと思う。

しかし、この「決心」がなくては国際問題はこじれていくばかり。

尖閣諸島の問題をきっかけに、「決心」のトレーニングを国民も政府もしていかなくてはならないと思う。

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