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ろうあ者の殺人事件と、聴覚障害児の教育

筆者 事務局

下記の本では、自閉症、知的、聴覚などの障害を持つ犯罪者についての話が載っている。

累犯障害者 (新潮文庫)

この本の中で2005年8月、浜松で起こった殺人事件についての話がある。加害者・被害者ともにろうあ者。不倫の末の殺人。

加害者の会社の人が、こういう証言をしている。

「事件を起こすまで、彼なりにいろいろ考えてなやんだりしたんだろうけど。ろうあ者以外の人には、それを言葉としてきちんと伝えられない。だから考えがとんでもない方向にいってしまう。」(171ページ)

この「考えがとんでもない方向にいってしまう」という話、関係者なら、分かる、という人多いと思います。

私が昔勤めていた会社で経験したこと。

そのろうあ者の男性は、手話もダメ、日本語もダメというダブルリミテッドな状態だった。あるとき仕事で上司からミスを指摘された事をきっかけに、普段のストレスが爆発してしまった。驚いた上司は「同じろうあ者なら、彼の気持ちがわかるはず」と社内にいるほかの部署で働く先輩ろうあ者に会わせたが、同じろう学校卒の、同じろうあ者なのに話が通じない。

先輩のろうあ者曰く「アイツが何を言っているか、オレにはわからん。同じ学校の後輩とは思えない」。

当の本人は私に、ただ「オレは悪くない。悪いのは●●だ」というばかり。

人は周囲と意思疎通ができなくなると、「マイ・ルール」いわゆる思い込みで判断するようになる。「もし私がこうしたら、あの人はどう思うだろうか?」という頭が働かなくなり、上にあるような”考えがとんでもない方向にいってしまう”ことになる。

これまで子供が日本手話を習得する主な場所は、聾学校の子供集団だったが、この場がもうなくなりつつある。そのため今後ますますこういう子が増えていくと思う。

いま国は特別支援教育と言って、障害種別に子供を分けることをしないとしているが、数から言えば障害児の8割以上が知的障害であることから、今ある聾学校は事実上養護学校になることが予想される。

以前保護者に「日本語も手話もダメと言うろうあ者が社会で苦労しているから、日本手話は大切だ。日本手話はろう学校でしか習得できない。」という話をしたところ、「ろう学校は手話を習得するところでなく勉強するところだ」という反対意見がその当時のPTA会長から出た。

今の聴覚障害児教育の第一の目標は「日本語の獲得」。だから「日本語の獲得」という問題はあっても、「手話の言語獲得」という問題は存在しないことになっている。その意味では、保護者の言うことは当を得ている。しかしダブルリミテッド状態のろうあ者がいる以上、現実に即していない。

ろう学校での日本手話習得が困難なら、地域のろう学校卒業者の集団の協力を得るという手がある。しかしここにも問題がある。

ろうの子供達をつなげたくなるような、子供達のロールモデルとなるような人が沢山いる地域であればいい。

しかし、学校を卒業したばかりの女の子に手を出すような、自分の欲望に忠実なチンピラろうあ者が「障害者団体役員」の肩書きで闊歩しているような地域では無理。

つなげた結果問題が起こっては、子供にも保護者にも申し訳が立たない。

そうなれば、あとはろう者の先生の採用を増やしてもらうしかない。

都会のような、ろう児の数がある程度確保できる地域なら手話で教える学校が作れるが、田舎では採算がとれず難しい。資産家の慈善事業でやるなら可能かも知れないが。

それ以前に、こういう問題に対する保護者や当事者の意識がどうかといえば、「高いか低いか」の二者選択で言えば残念ながら低い。高い方もいるが少数派。

意識が低い人が多数派ということは、世間や政治家からみたら、「それは問題はあるかもしれないが、大した問題ではないのだろう」ということになる。

問題がないのに第三者が動いては「それはあんたの思い込みでしょ」ということになり、かつ当事者でもなければ説得力がない。

また「手話」という言葉、かなりの垢がついてしまい、ろう児の手話獲得の問題についても語りにくくなってしまった。

「日本手話」の大切さを、被害者意識に凝り固まり、日本手話と似て非なるものを差別することで主張するようなろうあ者が、マスコミでろうあ者の代弁者として登場するようになった辺りから、ろう学校の手話の問題が一般の人に認知され始めた反面、「日本手話の大切さをPRすること」=「あの差別主義者のお仲間?」と見られるようになり、地方で日本手話の大切さをする人たちに対する信用度が落ちてしまったと感じている。

私も最初は、彼らの怒りにもそれなりの理由があると思い同情を寄せていたが、実際に彼らに会って、あからさまに他の障害者や、自分たちの考えに同調しないろうあ者を差別する様子を間近で見てからは、いたずらに同情するのは間違いだと気づいた。

彼らを支援している通訳者は、「多くのろうあ者がなかなか言えない本音を代弁をしているのだ」と信じているようだが、実際は、マイノリティなら誰もがもっているコンプレックスや被害者意識にいたずらに油を注いでいるだけ、と私は見ている。

活動のエネルギーの源泉が「被害者意識」の場合、常に攻撃対象が必要。共通する敵がいなければ力がでないので、彼らは常に攻撃対象を探している。

一緒になって攻撃するのは、ヤクザのシマ争いに似ているんじゃないかな。仲間意識も目覚めるし。結構楽しいのかも。

「被害者意識」があるから罪悪感無しに言いたい放題・やりたい放題相手を攻撃できる。これも弱者権力の乱用と言えると思う。

「妬み・恨み・憎しみ」で始まった活動は、新たな「妬み・恨み・憎しみ」を生み、やがて自分たちが他者を排除したように、社会から排除されて自滅していく、というのが自然の法則と思う。



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世の中

どうにもならないということがある

ということなんだな

と思う。

「突き当たったら、曲がれ」(牧衷著「運動論いろは」より)

ということか。
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  • Author:H&Dエデュケーショナル事務局
  • 当会は障害や、不登校等の問題、在日外国人の子供達等マイノリティの子供達を支援する非営利組織です。平成13年から活動を開始し、これまで主に重度の聴覚障害を持つ子供達の支援活動を続けて参りました。
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