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日本語学習について

筆者 事務局

先天的聴覚障害者が自己受容にいたるまでのプロセスというのがあるように思います。

第一段階:多数派のやり方に価値があると考え、同化しようと努力する。
第二段階:同化できない自分に対する劣等感と自己嫌悪
第三段階:多数派に対する憎しみ・恨みで一杯の状態
第四段階:ありのままの自分を受け入れて、バランス感覚を持つ

先の”日本語苦手ながらも社会で活躍している人々”の紹介記事の中で、日本語の習得について「何もかも犠牲にしてまってもいいと言えるほど価値のあるものでしょうか?」という書き方をしましたが、これは言うまでもなく”日本語学習をする意味は無い”ということではありません。

というのは、聴覚障害者の大人の中に

手話学習者には”日本手話”習得の努力を求めておきながら、自分は日本語習得の努力をする必要がないという輩がいる。

健常者は努力する必要があるが、自分にはない、という。

こういう人は、上のプロセスでいえば、第三段階にいるのではないかしら?

「自分のことを理解してほしかったら、まずは自分が他の人を理解する態度を示すこと」

障害があろうがなかろうが、肌の色がどうであろうが、関係ない。


なぜこうなったのか?

これは聾学校が原因ではないかしら?

以下、私の経験談。


以前県内の口話教育のオーソリティと言われている教員と会ったときのこと。

そのときは聴覚障害の友人と聾学校を見学していたので手話で話していた。

その先生は私が聴覚障害と思ったらしく

初対面の私に、高圧的な態度で”どこからきたの?”と口話で言った。

おそらく学校の生徒に対する時と同じ言い方をしているのだろう。

その教員の話し方に、聾学校の経験のない健聴者の私はびっくりした。


まずはその大柄な態度。

明らかに上からモノを言っている。

そのとき既に私はもう30過ぎた大人だったのに、この態度は一体何?

俺はあんたの生徒でもなんでもない。全く失礼極まりない。

”もし私とあなたでコミが成立しないとしたら、それは私の口話を読み取れないあなたが悪い”といわんばかりの態度。

そして言葉使い。

初対面なら”どちらから来られましたか?”だろ!!!

今思い出しても、むかっ腹がたつ。


大人になってからも、聾学校卒業生は教員から「口話を読み取れないお前はダメ」というような差別的な態度で接せられているのだとしたら

「自分は日本語習得の努力をする必要がない」と言い切る大人が出てくる事も少しは予想できる。


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推測するにその教員は・・・
敬語など使ったならば相手が読み取れない。
分かりやすく表現したのでしょう。
それが健聴者にとっては上から目線の大柄な態度に聞こえる。
要は自らが「口話ではコミュニケーションはとれない。日本語は教えられない!」
と暴露したようなもの!
ただ、このような先生は少なくなってきているのは事実です。
もっとしっかりと日本語教育できる聾学校であってほしい。
そのために活動しています。
これからもご協力お願いします。
事務局まで

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  • Author:H&Dエデュケーショナル事務局
  • 当会は障害や、不登校等の問題、在日外国人の子供達等マイノリティの子供達を支援する非営利組織です。平成13年から活動を開始し、これまで主に重度の聴覚障害を持つ子供達の支援活動を続けて参りました。
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