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在日外国人の子供達の支援の活動している皆さんへ、オススメの本

筆者 事務局

上農正剛さんの「たったひとりのクレオール」(ポット出版)



この本にあるクレオールの話を読むと、昔を思い出して、罪悪感のような、嫌な気分にさいなまれる。


2001年、私が国リハ学院を卒業して新潟に戻ったとき、頭の中にあったのは、子供達のこと。

新潟の聾の子供達は手話を知らない以前に、手話をみっともないものだと思っていた。


周りの大人の価値観を反映していたのだろう。

子供を育てる学校自体が、手話を否定的に扱ってきたのだから、子供達がそう思うのは当然。


その考えは将来間違いなく自己否定につながる。

そして今の聾の大人たちが起こしているような問題と同じような問題を起こす事は目に見えていた。


子供達には、手話に対して肯定的なイメージをもってほしかった。

手話に対する肯定的なイメージは、そのままプラスのセルフイメージにつながる。



私は子供達に手話で接していた。

最初は子供数人同時に勉強を教えていたが、徐々に個別指導の希望が増えた。


聾の子で手話も日本語も曖昧な子がいる。

自分の親とも友達とも、口話でも手話でもコミがとれないで大きくなった子達がいる。

こういう子に教える側が手話を使うということは、その子にとって一番使いやすい言葉が、教える人間と子供の間で使われる言葉に落ち着くことを意味する。

そしてその言葉は、私とその子の間でしか通じない「クレオール」のような物になっていたと思う。


子供に一生懸命接すれば接するほど、そのクレオールは強化されてしまう。

ジレンマでした。

子供にとっては、自分が一番使える言葉が、特定の人にしか通じない言葉なのだ。

やはり手話であれば、ろう者コミュニティで通じる手話であって欲しい。


子供に手話を継承できるはずのろう者の大人は、聾の子供に関心がなく

聾の子供に関心のある、聴者の大人は、子供に手話を継承できない。


コトバが全てではないが、コトバっつーのは、なんとも罪なもんだな、と思った。


この本を読むと、そのあたりの問題を理解しない専門家に対する

「コトバの問題に関する、コトバにならない怒り」

というのを感じます。

これは日本語を母語としない子供達への日本語教育の中でも、似たようなことがあるのではないかなと思います。

母国のアイデンティティを忘れさせないようにするために、母語を教えるが、日本語も母語も中途半端になって、子供を混乱させてしまうという事がありますが、聾の子供達の言葉の問題と共通点があると思っています。

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  • 当会は障害や、不登校等の問題、在日外国人の子供達等マイノリティの子供達を支援する非営利組織です。平成13年から活動を開始し、これまで主に重度の聴覚障害を持つ子供達の支援活動を続けて参りました。
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