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”やめたきゃ、やめれば?”に、ちと物申す

筆者 事務局

以前、テレビでも活躍している有名な手話通訳者と、個人的に話したときのこと。


都会でも、通訳者と当事者の間でトラブルがよく起こり、通訳者が当事者の問題を色々言うのだそうだ。それに関して、その方が

「そんなに言うなら、やめればいいのにね。”要は一緒に居たいか、居たくないか”という事だと思う」

とおっしゃった。


私はその言葉に引っかかった。

相手が「社会的弱者」である事を看板にして活動している以上、その活動は特定の個人の利益を追求するものではなく、「公共性」というのが伴うものだと思っている。行政からも当事者団体として認知されていて金銭的にも援助されているような団体であれば尚更だ。

ところが、そう思って参加したが、内情は当事者がやりたい放題だったりする。
非常識な事も平気でやっていたり、弱者のためどころか公私混同のオンパレードだったり
同じ障害をもつ弱者に対して差別的な事もしていたりすることもある。

例えば、よくある話が当事者団体の責任者が「俺に反抗的な態度をとる障害者には、行政の福祉サービスを利用させない」というケース。こうした公私混同のケースが結構ある。

そこで問題意識をもった通訳者がその問題点を指摘して

「やめたきゃ、やめれば?」という反応が返ってきたら。

そんなおかしな話はないだろう。

止めさせなければならないのは、そうした非常識な当事者達の活動だ。


趣味の活動であれば「やめたきゃ、やめる」で結構。

しかし公共性のある活動である以上は「やめたきゃ、やめれば?」で話は終わらない。


理不尽なことをされても、その被害者が自分や仲間でないと

「当事者の人には強く言えないのよね」という支援者が多い。

それは、その当事者の悪行に加担していること同義。


自分の団体の悪い所を改めることさえできないような団体が、社会に対して悪い所を改めるよう働きかけることなんて出来る筈がない。


必ずしも

障害者支援=常に善、ではない。悪行に加担している可能性もある。

弱者の主張=常に正しい主張、ではない。特定の個人の利益しか頭にない場合もある。

このことをまず支援者側が理解すべきだと思っています。

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