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本物の指導者と偽物の指導者

本物の指導者は新たな指導者を育てるが

偽物の指導者は、己が徒党の拡大に終始する。
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いたずらな謙遜は侮りを招く

筆者 事務局

『いたずらな謙遜は侮りを招く』

その通りだと思う、反省。

差別する理由

差別は感情。正当化できるものではないが、抑制できるものじゃない。

「なぜ差別をするのか」という理由を問うこと自体虚しい。

差別する人間は、差別する理由がなんであれ、差別できる理由さえあれば差別するもの。


肌の色
国籍
職業
能力
学歴
貧乏
障害
容姿
性別
出自
年齢
国籍
話し方
歩き方


なんでもあり。理由はなんでもいいのだ。

相手を攻撃できれば。

相手に対して優越感さえもてれば。


相手を攻撃する理由、差別する理由が見つからなくても問題ない。

相手を差別する理由を新たに創造すればいい。


「あいつは影でこんなことをやってる」

「あいつは、前にこんなことを言っていた」


「差別されて苦しい思いをしてきた人間であれば、他の差別されている人々のことも思いやれるはず」と昔は私も思っていたがそういうひとばかりではない。

悲しみが多い人間の中には、人に自分と同じ悲しみを与えることで「つらいのはオレだけじゃない」と癒されようとする人もいる。

武田鉄也の「贈る言葉」のサビの部分を替え歌すれば

「人は悲しみを癒すために、他人(ひと)を悲しませる 動物だかーらー」

というところか。


差別の感情は、自分を苦しめるために人が自分で創り出す煩悩。

やがて他人を差別した時と同じ感情が、自分に対して向けられる。

ポリティカリーコレクト の罠

筆者 事務局


藤原正彦さんという数学者が書いた「国家の品格」を久しぶりにペラペラと眺めたら、"ポリティカリーコレクト"についての記述があった。

ポリティカリー(Politically)=政治的、道徳的
コレクト(Correct)=正しい


事件を捜査に真実を追究する側が、事実を追究することなく、「社会や世間の価値観から判断して、どちらが正しそうか」で判断してしまう。

藤原正彦さんの言葉を借りると

"ポリティカリーコレクト"="弱者こそ正義"という考えだ。

このことは福祉関係の活動をやっている人間は肝に銘じていなければならない。

"ポリティカリーコレクト"を利用できる立場だからだ。


少々変なことをしていても

「俺たちはいいことやってんだから、少しくらい大目にみろ。」
「俺たちは差別されてんだから、いう事きけ。文句あるか!?」

と、甘えがでてくる。

そうした甘えが日常化してくると、時にはとんでもない人間が、当事者の代表者の肩書きで登場するようになる(^^)

その人間が公私混同を平気でやる人間であっても、だれも攻撃できなくなる。

攻撃すれば「弱者を差別する人間」のレッテルを貼られるからだ。

支援者も行政も、だれも口が出せなくなる。

「障害者」と「健常者」が争えば、事情を良く知らない回りの人間は

「健常者が障害者を虐げている」と見る。


それがいま、日本で、私のまわりで、起こっている。


「弱者を支援すること」がいいことなら、それはヤクザや右翼団体もやってることだ。

彼らは社会で相手にされない人間達を拾い上げて飯を食わせている。中には障害者も外国人もいる。いいことしてるのだ。

"ポリティカリーコレクト"に関して、ここで一句。

障害者 名乗れる私に 敵は無し

情状酌量ということはあってしかるべきだが、それに乗じてやりたい放題の人間にはしっかり釘をささんといけません。

藤原正彦著 国家の品格 (新潮新書)


「国を守らない限り個人の自由なんかはありません」~小野田寛郎さんの話から~

戦争が終わったことを知らされずに29年間フィリピンで戦った小野田寛郎さん。


中学生のとき歴史で習った小野田さんの話は”戦争の犠牲者”というイメージが強かった。




しかし、ある時たまたまNHKのラジオドラマをきいてその印象が変わった。

【ニコニコ動画】特集オーディオドラマ[カムバック、小野田少尉]

現在もご健在だった。動画を見つけた。

平成23年8/15戦歿者追悼中央集会(小野田寛郎氏)


印象に残ったのは、12分50秒すぎから。一部を以下に抜粋。

『国を守らない限り、個人の自由なんかはありません。

よく「人権、人権」と言われても、私は「アフリカの砂漠に行ってライオンの前で”人権だ”と胸を張ってみろ」と。考えなくても結果はわかるだろう。彼ら(ライオン)には人権は通りません。

「人権」というのは、お互いに相手を尊重するという了解のもと、そういう社会、あるいはそういう国の中において初めて言える事であり、また保護される事である。他がない限り、私達は「人権」と言っても、何の効果もありません。

国という大きな集団で、外敵に対して自分達が独立しているから、その社会の中で人権が保証されているわけであります。決して1人1人が勝手に生きて言い訳ではないワケで...』



「人権」を論ずるとき、その前提となる「国家」というものについて、これまでしっかりと考えてこなかった。

「国」という形は当たり前に存在するものと考えてきたように思う。反省せねば。

人を育てることについて

筆者 事務局


人に育てられたことのない人間は


人を育てることはできない。

ダライ=ラマ14世からのメッセージは実にポジティブ!

筆者 事務局

中国政府に追われ、長いことインドで亡命生活を送っているダライ=ラマ14世。


チベットのリーダーの方なので、敬称をつけて呼ばなくてはならないのですが

思わず「ダライ=ラマのおっさん!(失礼)」と呼びたくなるような、実に愛嬌のある方です。

話す様子を見ているだけで、元気がでてくるような気がします。



世界中の人たちから愛されている理由がわかります。


ダライ=ラマ14世がツイッターで、毎日メッセージを送っています。

そのメッセージが万人向けで実にいいのです!実に前向きでポジティブ!

Dalai Lamaさんからの、短くてタイムリーなメッセージを受信しましょう!
http://twitter.com/DalaiLama

最近のメッセージでは

「心の真の平安や充足感は、私達の心の持ち方にかかっています」

このメッセージにすぐにコメントをつけられるのも、いいとこ。

私もときどきコメント書いてます。

読んでくれてるかな?

【べ】べし/べからずでヤセ細り(牧衷著「運動論いろは」より)

筆者 事務局

いまハマっている本、牧さんの「運動論いろは」より。

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成功する運動では、運動に参加している人に「押し付け」がない。

反対意見、少数意見の人が何かをしていても目立たない。


これが上手く行かない運動では

むりやり人を集めたり

無理に人を動かそうとする。

反対意見、少数意見の人が何もしないのに目立ってきて

多数派が同調を迫ろうとする。

このように「押し付け」が多くなり、やがて運動はヤセ細り。


なるほど、そのとおりだと思います。

そういえば、当事者1人1人の主体性を否定して「勝手にやるな」が決まり文句になっているような運動が、どっかにあったなぁ(^^;

こうした運動をいたずらに延命させることが、果たしていいことなのだろうか・・・

生まれ変わろうとしないのであれば、そのままそっとしておいたほうがいいのではないかな。



本の紹介「運動論いろは」(牧衷著 季節社)

筆者 事務局

おもしろい本見つけました。

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著者は戦後、学生運動にも、のめり込んだ経験のある牧衷(まき ちゅう)氏。

ご自身の運動観をいろは歌にして、解説しています。

たとえば

ゆ:行方見えねば人寄らず

戦後、共産主義の台頭を阻止するため、政府主導で会社や大学からなどの組織から共産党員や支持者を追放するという事がありました(レッド・パージというそうです)

その理不尽さに反対した当時東大学生だった筆者らが試験をボイコット。1回目のボイコットは多くの学生の賛同を得られ成功したが、2回目のボイコットは多くの学生が反対して失敗したのだそうです。

失敗の原因は、学生の多くが「今回もボイコットしたら、大学卒業できなくなるかもしれない」という危惧を抱き、ボイコットをすることで自分達がどうなるのか先が見えなくなったからと著者は分析しています。

どんなに論理的・倫理的に正しいものであっても、その運動の先に何があるのかが分らないと人はついてこない、ということを学んだということです。

そのほか

め:目がすわったら、もう終わり

これは笑ってしまいました。

人はつらい中でも自分の信念を通そうとすると、自然と目がすわってくるそうです。

運動の目的は多くの人の賛同を得ること。

無理を通して活動をしても人の賛同は得られない。

「ねばならぬ」でつらくなってきたら、それは方針や方法論に間違いがあるから。


人一人は不可思議な存在ですが、集まるとなんらかの法則性が出てくるようです。

活動を客観的に見るのに、この本のメッセージは役に立つなと思いました。

途上国支援に学ぶ、支援のあり方 ~山口絵理子さん~

筆者 事務局

アジア最貧国のバングラディシュでバックを作る会社を運営している山口絵理子さんの特集。

情熱大陸 山口絵理子 1/3


情熱大陸 山口絵理子 2/3


情熱大陸 山口絵理子 3/3


相手の言うがままに援助を続けるだけでは

可愛そうな人々に憐れみをかけるだけでは

何も変わらない。



大きく儲けられるれるわけじゃない

日本に帰ってきても、キャリアとして認められないかも知れない

しかし騙されたり盗難にあうなど、嫌なことが起っても、頑固なまでに異国でビジネスを続ける山口さん。


これができるのは、柔道で培った彼女の根性なんだろうな、と思う。

「おかしい」ことは「おかしい」と言い続けられる根性。

楽な方に簡単には流れないぞ、という根性。

あきらめたら、理不尽なものに、負けることになる。


自分の居場所を失いたくないために、白も黒と言えてしまう人間達とは大違い。


バングラディシュでがんばれる理由を尋ねられて

「あきらめたくなかった...」という山口さんの言葉から

そんなことを感じた。

tag : バングラディシュ 山口絵理子 途上国 ビジネス

頑張った後に苦しみが待っている辛さ

筆者 事務局

バンクーバーオリンピック、はじまりましたね。

スピードスケート、男子500M、銀と銅、やりましたね!

スピードスケートの女子500Mは吉井選手が入賞

スピードスケート女子のニュース観ていて思ったこと。


岡崎朋美選手の

「結果は良くなかったけど、これまで自分がやってきたことは間違いなかった」

という言葉には感動したぞぉ。


新谷選手は、運動性喘息という持病をもっているとのこと。

運動性喘息は、激しい運動をすると、喘息がはじまる。

喘息は、呼吸ができない状態。水の中で溺れているようなもの。


普通は、体をいじめ抜けば、その時はつらいが、終われば開放感、爽快感がある。

だから、つらい練習も我慢できる。

でも彼女は、がんばれば、がんばるほど、その後で苦しみが待っている。

自分の体と相談しながら、練習しなくてはいけない。

でも試合の時などは、100%の力を出さなくてはいけないから

喘息の覚悟をするのだろうなぁ。

それでもオリンピックを目指すのだから、すごい。


アスリートと比較するのには無理があるのですが

新谷選手の気持ちわかるような気がするんです。

おそらく気がするだけなんでしょうが。


私は高校生のときから、偏頭痛もち。

部活もずっと大学まで体育会系でしたが、練習のあとがつらい。

今でも仕事がきつかったり、寝不足になると、偏頭痛が始まる。


例えば「今週の仕事、なんとかしのげば休みが待っている!」

と思って、なんとか頑張りますよね、皆さんも。

頑張った自分へのご褒美なんか用意したりして。


でも頑張った結果、私の場合、待っているのは偏頭痛のプレゼント。

金曜の深夜から、吐き気と頭に釘を打ち込まれたような痛みが始まる。

せっかくの休みは偏頭痛の痛みに絶える日々。


そのため普段から60%くらいの力で済ませるようしている。

1日を余力を持たせて終わらないと、次の日動けない可能性があるから。


偏頭痛を理解してくれない職場の上司からは

「お前、本気だしてんのかよ」

と怒られるのだけど、100%でやってしまうと、後でつぶれるのが分っているのよね。

なんと言われても、自分の体は自分で調整するしかない。


全力を出せないというのは、つらいもんです。>ねぇ、偏頭痛持ちの皆さん。

善人と悪人

筆者 事務局

悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。

そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。

平生はみんな善人なんです。

少なくともみんな普通の人間なんです。

それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。

だから油断ができないんです。

(夏目漱石著 こころ上 先生と私 より)

tag : 悪人 善人 人間

二宮尊徳翁に学ぶ、問題解決の優先順位

筆者 事務局

大きな問題がどうにかならないと、小さな問題が片付いても意味がないと思ってしまうことがある。

また大きな問題をちょちょいと解決してしまえば、自信がつくと思ったり、皆に自慢できると思ってしまう。

しかしそうしてしまうと何事も中途半端になりやすく、問題を解決する前に息切れしてしまう。

二宮尊徳は「やりやすいところからやるべき」と言っている。

国家を復興させるのも、これと同じという。

やりやすいところからやろう。


(以下、二宮翁夜話 巻の一 変通の事 より)

何事にも変通(臨機応変の処置)ということがある。

たとえば農家に病人がでて耕作や草取りに手遅れになったときは、草がもっとも多いところは最後にし、草が少なくてやりやすい所からやるのが大切なことだ。

そうしなければ、手重なところにかかって日時を費やせば、わずかな畝歩のために、総体の田畑が順々に手入れが遅れて非常な損になる。


また山林を開拓するには大きな木の根はそのままに差し置いて、まわりを切り開くのがよい。

そして三、四年経てば、木の根は自然に朽ちて、力を入れないで取れるものだ。

これを開拓のときに一時に掘り取ろうとする時は、労多くて功が少ない。


国家を復興するのも同じ理屈である。


村里を復興しようとすれば、必ず反抗する者がある。

決してこれに関ってはならず、触ってはならない。

気にせずにおいて自らの勤めを励むべきだ。

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鷹山公から学ぶ、~国家にして我私すべき物にはこれなく候~

筆者 事務局

江戸時代米沢藩の大名で、窮乏にあえぐ藩の財政を立て直した名君、上杉鷹山(うえすぎ ようざん)。

その鷹山が、家督を譲るときに残した言葉に以下のものがあります。


一、国家は先祖から子孫に伝えるところの国家であって、自分で身勝手にしてはならないものです。

一、人民は国家に属している人民であって、自分で勝手にしてはならないものです。

一、国家と人民のために立てられている君主であって、君主のために立てられている国家や人民ではありません。


これは障害者の当事者団体にも同じことが言えると考えます。

当事者団体は、その活動が、同じ問題を抱える不特定多数の人たちの利益につながるがゆえに存在価値があります。

その団体が尊重されるのも、また似たような団体を結成する事が良くないとされてしまうのも、この団体に公益性があるが故です。

ところが、そうした公益性のある団体が、自分のエゴや自団体の利益ばかり追いかけるようになったのであれば、それはもはや公益性のある団体とは言えません。

そのような場合、支援者の側も「だめなものはだめ」と行動で示す事が肝要。

支援をやめるのも、効果のある意思表示の手段。

モラルに反した行為を平然と行う当事者達に対しても「当事者の権利を守るんだ」などど、誰からか与えられた物語や美学に固執して支援を継続する人たちがいますが、それは当事者のためにはなるどころか害になると思っています。

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ネバーギブアップぢゃ!




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迷ったら、食わないほうがいい ~葉隠より~

筆者 事務局

きのこのおいしい季節になりましたが、きのこの話ではありません。


「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」で知られている、「葉隠」(はがくれ)。

この書の中に以下のような言葉がある。


「生きても死んでもどうでもよければ、生きたほうがまし。

食おうか、食うまいかと思う者は、食わないほうがいい。

死のうか生きようかと思う時は、死んだほうがいい」


この真ん中の「食うこと」について、一言。

これまで私は「食おうか、食うまいかと思う者は、食った方がいい」で生きていた。


子どものとき、兄弟3人で食べ物を争った記憶がそうさせているのだろうか・・・


大人になって「食おうか、食うまいかと思う」のは忙しい時や、急いているとき。

「今食わないと後で食べる時間がなくなるかもしれない!」と思い急いで食べて、あとで調子悪くしている事が多い。

バイキング方式の食事でも、「もったいない」「折角の機会だから」と、ついつい食べ過ぎてしまう。

食って体を壊すくらいなら、食わないほうがいいことは頭では分かっている。

私にとっては、「食おうか、食うまいかと思う者は、食わないほうがいい。」と思っているほうが健康にいいのかも知れない。

「グッときた名言」というより、ハラが減って、お腹が「グーとなる名言」になりそうだ。

二宮尊徳の言葉~水面を以って水平とし、垂針を以って垂直とす~

筆者 事務局

伊那食品工業会長の塚越寛さんが書かれた本に「年輪経営」という本がある。

「社員の幸福を通じて社会に貢献する」という考えに、大変感動した。

本の中で、塚越さんが二宮尊徳の考えに基づいて経営しているという事を伺い、早速二宮尊徳の本を読んでみた。尊徳の弟子達が、師匠の言行録をまとめている。

その中に「二宮翁夜話」というのがある。

巻の一の冒頭の部分に以下の言葉があった。。

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tag : 二宮 尊徳 塚越寛 年輪経営 報徳記 天地

何もしないことの価値

筆者 事務局

「世の中には、役に立たない仕事はない」

というような話を経営コンサルタントの人から伺った。

仕事に虚しさを感じている人たちをへの慰めなのかな?


そんな事を考えていたとき達磨の話をきいた。

達磨さんは手も足もない。なぜ無いのか?

人間が自然の理にそむき、知恵を働かせ自分の力で生きていこうとするから、大いなる自然の働きが損なわれてしまう。達磨さんに手や足もないのは、余計な事はしないことの象徴。

そして大きな目は、人がやることを「余計な事をするな」と睨みつけている様子だという。

何かを為すことのほうが、何も為さないことよりも、遥かに価値のあることだと思っていたが

そうではない「為さずして為す」という価値観があると知って驚いた。

怠慢じゃないの~と思ってしまうが、そういう考えこそ傲慢なのかしら。

空即是色

筆者 事務局

カーネル人形 補修が終了 おはらい受け「呪いは解けた」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090625-00000006-maip-soci

川に捨てられ、ゴミと化した人形を拾ってきて縁起担ぎとは・・・

「空即是色」とは、まさにこのことだなと思います。
モノ自体に価値はないが、多くの人間が価値があると思い込むことで、価値を持つ。

まぁ、それで大阪が活気付けば、すべてよし!

”老人”の意味

筆者 事務局

中国では”老”は、優れた人に対する敬称を意味するそうだ。

つまり”老人”とは、”優れた人”という意味になる。


年を重ねた方に対して、○○翁や、○○老という言い方をするが

優れた人のことを意味するんですね、シラナンダ。

自分を客観的に見る方法

自分に似た人を探すこと

恐れ

筆者 事務局

小人は他人に負けることを恐れる。

大人は自分に負けることを恐れる。

道の道とすべきは常の道に非ず

筆者 事務局

聞こえない子供達の教育は口話教育であらねばならぬ

聞こえない子供達の教育はバイ・バイ教育であらねばならぬ

聞こえない子供達の教育は○○教育であらねばならぬ


マイノリティの子供達の教育は「○○であらねばならぬ」となったとき、柔軟性を失ってしまう。絶対な方法というのはない。究極を追い求めると机上の空論に陥りやすい。そして子供達はおいてけぼりにされ、エセ学者ばかりが増えることになる。

道の道とす可きは常の道に非ず(老子 第1章より)

遠くまで行かねばならぬのなら

筆者 事務局

アメリカの格言。

If you have to go fast, go alone.

If you have to go farther, go together.


速く行かねばならぬのなら、独りで行け。

より遠くまで行かねばならぬのなら、一緒に行け。


「行政や学校と喧嘩している場合じゃない。早くやらねば子供達はあっという間に大きくなってしまう」と、こどもたちのためにやらねばと始めたこの活動。

そろそろGO FASTからGO FARTHERに切り替える時期か・・・

強い人

自分の中のネガティブ思考に打ち勝てる人

極限状況で人間に必要なもの

ナチスドイツのアウシュビッツ収容所で生き延びたユダヤ人の言葉。

近いうちに、殺されると分かっている極限状況で

正気を保つために必要なこと。

強靭な精神?

強靭な信仰心?

ノンノン

それは・・・

ユーモアのセンス。

”やめたきゃ、やめれば?”に、ちと物申す

筆者 事務局

以前、テレビでも活躍している有名な手話通訳者と、個人的に話したときのこと。


都会でも、通訳者と当事者の間でトラブルがよく起こり、通訳者が当事者の問題を色々言うのだそうだ。それに関して、その方が

「そんなに言うなら、やめればいいのにね。”要は一緒に居たいか、居たくないか”という事だと思う」

とおっしゃった。


私はその言葉に引っかかった。

相手が「社会的弱者」である事を看板にして活動している以上、その活動は特定の個人の利益を追求するものではなく、「公共性」というのが伴うものだと思っている。行政からも当事者団体として認知されていて金銭的にも援助されているような団体であれば尚更だ。

ところが、そう思って参加したが、内情は当事者がやりたい放題だったりする。
非常識な事も平気でやっていたり、弱者のためどころか公私混同のオンパレードだったり
同じ障害をもつ弱者に対して差別的な事もしていたりすることもある。

例えば、よくある話が当事者団体の責任者が「俺に反抗的な態度をとる障害者には、行政の福祉サービスを利用させない」というケース。こうした公私混同のケースが結構ある。

そこで問題意識をもった通訳者がその問題点を指摘して

「やめたきゃ、やめれば?」という反応が返ってきたら。

そんなおかしな話はないだろう。

止めさせなければならないのは、そうした非常識な当事者達の活動だ。


趣味の活動であれば「やめたきゃ、やめる」で結構。

しかし公共性のある活動である以上は「やめたきゃ、やめれば?」で話は終わらない。


理不尽なことをされても、その被害者が自分や仲間でないと

「当事者の人には強く言えないのよね」という支援者が多い。

それは、その当事者の悪行に加担していること同義。


自分の団体の悪い所を改めることさえできないような団体が、社会に対して悪い所を改めるよう働きかけることなんて出来る筈がない。


必ずしも

障害者支援=常に善、ではない。悪行に加担している可能性もある。

弱者の主張=常に正しい主張、ではない。特定の個人の利益しか頭にない場合もある。

このことをまず支援者側が理解すべきだと思っています。

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H&Dエデュケーショナル事務局

  • Author:H&Dエデュケーショナル事務局
  • 当会は障害や、不登校等の問題、在日外国人の子供達等マイノリティの子供達を支援する非営利組織です。平成13年から活動を開始し、これまで主に重度の聴覚障害を持つ子供達の支援活動を続けて参りました。
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