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「栖吉」の意味

「栖吉」という地名がある。

以前からどういう意味なのかな?
と気になっていた。


鴨野長明「方丈記」の有名な冒頭の部分

行く河の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し。


「栖」には、「すみか」「人の住むところ」という意味があるらしい。

すると「栖吉」は「住む」には「吉」なところ。

つまり、「住みよい町」という意味なのかな?



新潟県長岡市栖吉町は幾つかの地区に分かれているが、その中に「風谷地区」という場所がある。

「おー、風の谷か」といつも感動する。

「住みよい、風の谷の町」

いい名前だ。


子供達が「風の谷からきました、○○です」なんて自己紹介したら、かわいいだろうなと、勝手に想像している。

風の谷といえば...感動したなぁ。

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敬称のルール 「ちゃん」付けで呼ばれているのは、愛されているからかもyo

筆者 事務局

あるとき、ろう者の手話教師がなにやら怒っていた。

普段会っている手話通訳者が、通訳者同士の会話の中で、自分のことを「名前+ちゃん」で呼んでいるらしいことをきいて、頭にきたらしい。

どうやら「自分を子ども扱いしている。バカにしている。」と思ったようだ。


あぁ、こういうところにも、誤解があるなと感じた。

比較的日本語リテラシーの高い人だったが、それでも健聴者の話し言葉までは理解が及ばないのは、耳が聞こえない訳だから、当然なのかも知れない。

この「ちゃん」付けについて、ちょっと解説をしたいと思う。


たしかに、子どものことを言うときには、男子なら「~くん」、女子なら「~ちゃん」と付けることが多いと思う。

しかし、今回のケースでその通訳者達が「ちゃん」付けで呼ぶのは、そのろう者に親愛の情を感じているからであって、決して子ども扱いしているわけではないことは、私にはすぐに分かった。

もし嫌いだったり、親愛の情が薄ければ、「~さん」「~先生」と呼んでいるはずだった。


この「ちゃん」をつけるルールというか心理は、人によっても違うし、人間関係によっても異なると思う。

自分自身のことを振り返ると...

学生時代、自信が無さ過ぎるのか、ありすぎるのか分からないが、自分をやたら大きく見せようとする先生がいて、その癖やることが子どもっぽいものだから、学生から見ても「かわいい」というか「大人気ない」というか...

その先生の前では学生は皆「○○先生」と呼んでいたが、学生同志の会話の中では「~ちゃん」で呼んでいた。

「ちゃん」付けで呼んでいた理由、それは学生が、その先生から何かしら愛嬌を感じていたんだと思う。

もし本当に嫌いであれば、もっと酷いあだ名で呼ばれていた筈。


どういう意味で「ちゃん」がつくのか、それはケースバイケースだし、そのことを健聴者にきいても、きっとチャンとは答えてはくれないだろう。

もし「ちゃん」付けで呼ばれて、頭にカーッときたならば、次のことを思い出して欲しい。


日本ロック界のカリスマ「矢沢永吉」は、ファンから「永ちゃん」と呼ばれている。この「ちゃん」は、親愛の情とともに、尊敬の念も込められている。


もし自分が「ちゃん」付けで呼ばれていたら

・愛されている
・尊敬されている

と思っていれば、腹も立たず人間幸せだ。

「手話が怖い」

筆者 事務局

震災時に聴覚障害者の支援活動をする中で、様々な聴覚障害の人とあった。

そのときに経験したこと。


聴覚障害者、特にろう学校卒業者の中には、聴覚障害者との接触を極端に嫌う人がいる。それも相当数いる。

ろう学校時代に、他の生徒からイジメられたトラウマが残っているのではないかと思う。

そういう人は、手話を使う人間を極力避ける。


相手がろう学校とは縁のない健聴者であっても、手話を使う人であれば、同じように避ける。


手話を使う人間達の世間は狭いので、誰が「あの嫌な奴ら」と繋がっているか分からないから。


自分のことが「あの嫌な奴ら」に伝わって、ああだこうだ言われるのは我慢ならないのだろう。


たとえ自分が手話を使う聴覚障害者であっても、手話通訳者よりも、普通の行政の職員や、ヘルパーさんなど「あの嫌な奴ら」と関わりのない人の方が安心して付き合えるようだ。


そういう人と出会うと「私はあの人たちとは、全く関係ないから、安心してください」と言いたくなる。


必ずしも、手話を使えば、ろう者との距離が縮まるワケではない。逆に距離が広がる場合もある。

最近感動したこと

筆者 事務局

先日ある障害者スポーツ競技大会のスタッフをしたときに経験したこと。

大会名をあげると個人が特定されかねないので、ここでは伏せる。


参加選手は、国際大会で活躍しているようなレベルの高い選手ばかり。

選手は全国から集まっていた。本格的に競技に取り組んでいる人たち。


高校生や大学生の選手の多くは、保護者同伴で来ていた。

今回来られていたのは、ほとんど男親。

保護者が同伴する理由は、これは私の推測だが、競技審判の人たちは競技についてはプロだが、障害については、あまり知らないケースが多い。

そのため、ついつい慣れている健常者の大会のやり方でやってしまい、障害者独特の処置について、分っていながらもついつい忘れてしまうことがままある。

保護者のみなさんもその点心配で、送迎の傍ら、競技を見守りたいという思いもあって同伴しているのだろう、と思った。


保護者の皆さんは、きっと各地の大会で顔を合わせて居られるのだろう。保護者同士仲が良いように見えた。


しかし仲がいいと言っても、選手同志はライバル。

「うちの子には、少しでも上の順位に」という思いは保護者にも当然あると思う。



しかし今回私がみた保護者のみなさんは、自分の子どもだけでなく、自分の子どものライバルとなる他の選手に対しても、同じようにサポートしていた。

また選手の中には保護者がきておらず、すべて自分で対処しなくてはならない選手もいる。そうした選手に対しても、保護者同士で役割を分担してサポートしていた。(宿泊施設からの送迎や食事、道具の管理、スケジュール変更の連絡やマッサージなど)


もちろん競技自体は本人の力が全て。

しかし、それ以外は選手1人の力では手が回らない部分がある。


私は立場上、特定の選手だけが有利になるような事をしてはならないので、遠くから見るだけだったが

自分の子以外にも、分け隔てせずに声を掛けている保護者の様子をみて、美しいものを感じた。

タイヤチェーン適応サイズ 「155R13」の意味は「155/80R13」の事

筆者 事務局

この冬、障害者スポーツ関係のイベントで手伝いにいくことになりました。
車で行く予定なのですが、心配なのは雪。


昨年、大雪で除雪が追いつかずスタットレスタイヤを履いていても横滑りをするという経験をしました。
渋滞に加えての横滑りは、もう緊張しっぱなし。大変疲れました。

「転ばぬ先の杖」ということで、今年はタイヤチェーンを用意することにしました。
チェーンは横滑り防止に効果あり。


私の車は軽自動車でタイヤサイズは155/65R13。


予算の関係で新品は買えず、ネットオークションで中古を購入しました。
「中古は切れるぞ」という話をきいたことがありますが、それも運です。
新品だって切れるときは切れる。

商品の説明には「適応サイズ:155R13」とあったので、155/65R13なら大丈夫だろうと思っていました。
真ん中の数字「65」は扁平率だということは知っていましたが、その記載がないということは
どの扁平率のものでも大丈夫と思っていました。


しかしこれがとんだ早とちり。改めて数字の意味を調べてみました。


155/65R13
155:タイヤの幅[mm]
65:扁平率[%]
R13:タイヤホイールの径[inch]


扁平率はタイヤの断面高さを断面幅で割ったもの。

扁平率100で「断面の高さ」=「断面の幅」になる。

155R13の意味をネットで調べたら、155/80R13のことらしい。
昔は扁平率はみな80だったので表記しなかったんだって。

うー、まぎらわしい!!!

155/65R13と155/80R13。
計算すると、外周の長さが14センチ近く違うことが分かった。

155/80R13のものを155/65R13につけると長さが14センチ余ることになる。


ひえー!へたこいた。



「まぁ、実際タイヤにつけてみて合わなかったらネットに出そう」


と思いダメモトでタイヤにつけてみました。

スタットレスタイヤ155/65R13に、155/80R13のタイヤチェーンをつけてみた




なんかピッタリだし...


まだ路面に雪はありませんが、このチェーンで10キロほどの距離を走ってみました。
時速40キロくらいで。

ゆるい感じはない。タイヤはスタットレス。
スタットレスはノーマルよりも表面の凹凸があるので
その分外周サイズが大きいのかな?

雪が降ればこのタイヤに雪がくっついて外周の長さは見かけ上更に長くなる。
そうすればさらにチェーンをきつくでき、外れる可能性は更に低くなると見た。
よし、今年はこのチェーンにかけてみよ。

※真似される方はあくまで自己責任で。当方は責任負えません。

ということで、今回の経験で扁平率の記載のないタイヤの扁平率は80であり、どんな扁平率のものでも大丈夫というわけではないう事を学びました。

じゃんじゃん。

★タイヤチェーン 155/65R13★

tag : タイヤチェーン 扁平率

こういう文化を日本に持ち込ませてはならない 

筆者 事務局

【毎日新聞】中国:ひき逃げ2歳児、18人見て見ぬふり 人心荒廃嘆く
http://mainichi.jp/select/world/news/20111019ddm007030125000c.html

学生時代、東京の会社で実習をしていた時のこと。

電車で通勤途中、地下鉄の連絡通路でうずくまっている女性がいた。
通路は人でごった返している。誰もが早足、そして見てみぬふり。
声をかけて近くにいた駅員さんに連絡し、駅室まで駅員さんと2人で運んだ。

「東京というのは、なんと冷たいところだ」としみじみ思った。

しかし、この程度で嘆くのは、まだまだアマちゃんなのだろう。

この中国広東省で起こったひき逃げ事件は、2歳の女の子が車に引かれ
助けを求めているのに、18人がバイクや徒歩で横を通りすぎたという。

おそらく昔からこういう事が度々あったが、防犯カメラという文明の利器
のために明るみになっただけということなのだろう。

とてもじゃないが、こういう国に観光に行こうとは思わない。

こうした事が日常化している国民が日本にきても、その人たちを感化できる道徳力は今の日本にはない。
しかし今の日本の方針は入国制限を緩和する方向。

まずいんじゃないかい?問題が起こってからじゃ遅い。

【余談】インクジェットプリンタのインク どうするのが一番お得?

私はいつもモノクロレーザプリンタを使っています。
インクジェットプリンタはたまにしか使いません。
なぜならレーザプリンタの方が「早い」「印刷がキレイ」「インクが手につかない」から。

レーザプリンタは昔は10数万円もしましたが
モノクロなら、今はインクジェットプリンタよりも安いくらい。

インクジェットプリンタが活躍するのは年賀状シーズン。
そのシーズンが過ぎるとしばらくお休みしてもらっています。

インクジェットプリンタのインクって
プリンタ自体を長いこと使ってないと
知らない間に「インク切れ」の表示が出ますよね?


あれなんなんでしょ?


少しずつインクが蒸発しているということなのかしら?
すぐに印刷したいときに限って、使えないんだよなぁ→マーフィの法則
それにインクジェットのプリンタのインク、めっちゃ高い。プリンタと同じくらいの値段しますよねぇ。


プリンタのインクの交換方法、主に3つあると思います。

1.メーカ純正のインクカートリッジを買う
2.リサイクルカートリッジ、または互換カートリッジを買う。
3.詰め替えインクを買う。

値段だけで言えば、お得なのは「3.詰め替えインクを買う。」だと思います。


実はずっとこれまで予算削減のために、詰め替えインクで対応していました。

穴をあけてチューチューとインクを入れるのですが、時々インクがこぼれたりして手が真っ黒になったりしたこともありました。

こんな作業です。



手間はかかりますが安いです。インクは100円ショップにもあります。


でもあるとき、プリンタの中でインクが全部流れてしまった事がありました。

カートリッジタイプのインクは、穴を開けてそこからインクを入れます。
入れ終わったら空気が入らないようにフタをします。
しかし、何回もインクを入れているうちにフタが弱くなってきて、インクが流れやすくなってしまうのです。

インクが流れた後プリンタの掃除をしたのですが、どうも電子回路の方までおかしくなってしまったようで、動かなくなってしまい...なくなく処分しました。

私のやり方が悪かったと思うのですが、この事があってから、「3.詰め替えインクを買う。」は選択肢から消えました。インク安くても、プリンタが壊れちゃ元も子もない。かえって高くつく。


あとは
1.メーカ純正のインクカートリッジを買う
2.リサイクルカートリッジ、または互換カートリッジを買う。
のどちらかになりますが、私は使い分けをしています。

重要な書類をたくさん印刷するとき→「1.メーカ純正のインクカートリッジ」
重要度の低い書類を印刷するとき→「2.リサイクルカートリッジ、または互換カートリッジ」

という風に。

メーカ純正の方が安心して使える感じがありますが、値段が高いので「勝負をかける」ときにしか使いません。なので普段プリンタにはいっているのは、互換カートリッジ。

リサイクルカートリッジはメーカ純正のカートリッジを再利用してインクを再充填したものです。
一方、互換カートリッジは新品です。

どちらにするかは好みですが、私は互換カートリッジを使っています。

なので私の結論としては

「互換カートリッジと純正カートリッジを買い、普段は互換カートリッジをつかいつつ、重要な書類のときには純正カートリッジを使う」

が長い目で見てお得じゃないかな、と思っています。

東日本大震災をみて やっぱり大切なのは「地域のコミュニティ」

筆者 事務局

多くの人は「コミュニティ」ときくと、「コミュニティセンター」を思い出す。

昔は「集会所」「公民館」と呼ばれていた場所が、なぜが名前を横文字に変え「コミュニティセンター」と呼ばれているからだ。
行政やNPO関係の人と話をすると、「コミュニティ」=「地域コミュニティ」「町内会」と捕らえている人が多い事に気づく。
それにはこうした背景があると思う。

「地域コミュニティ」とは別に「興味・関心」に基づくコミュニティがある。

インターネットの世界では、「コミュニティ」というと、「同じ興味・関心を持つ人たちが集まって話し合う場」を意味する。
例えば、mixiというSNSがあるが、このSNSが提供している「コミュニティ」というサービスは、まさに「同じ興味・関心を持つ人たちが集まって話し合う場」。また「オフ会」等と言って実際に会って飲み食いをするということもある。

便宜的に前者を「地域コミュニティ」、後者を「興味・関心コミュニティ」と呼ぶ。

偉い学者さんたちは、これからは「地域コミュニティ」の枠を超え、「興味・関心コミュニティ」がメジャーになっていく等とおっしゃっている。しかし、この2つを同列に考えるのは、やっぱり無理があるのではないか、と最近考えている。

そのきっかけは、東日本大震災の様子を見てから、だと思う。

「興味・関心コミュニティ」は、PCや携帯などの通信機器の存在が大前提だ。しかし通信機器は、電気が切れれば使えない。人間と人間の付き合いがスイッチ1つで、ON/OFFできてしまうコミュニティ、それが「興味・関心コミュニティ」。

このコミュニティでは「嫌いな人」とは付き合わなくてもいい。しかし「地域コミュニティ」では、そうはいかない。「嫌いな人」「反りが合わない人」でも、付き合っていかなくてはならない。

しかし災害など、いざというとき重要なのはやはり「地域コミュニティ」だ。人の幸せというのも、ここにあるのではないかと感じている。


しかし「地域コミュニティ」もいろいろある。
とんでもない人間が、ボス猿的存在になっていたりする地域もある。

例えば長岡は若い優秀な人たちが一度都会に出ると帰ってこない。自分の故郷に魅力を感じていない。おそらく自分の親が近所付き合いや会社で嫌な思いをしているのを見てきたのだろう。とんでもない人間が、町内会のボスだったり、会社の上司だったりしているのではないだろうか?政治家の顔をみても、態度のデカい権力好きな人間が勢ぞろいしている。

こうした地域は、たとえ「まちづくり大賞」を国からもらってるといったって「地域コミュニティ」としては、弱いのではないかと思う。

ごく普通の子が、とくに意識することなく「自分の故郷が好き」と言える地域こそが、「地域コミュニティ」としては強いのではないか。

東日本大震災で被災した岩手県釜石市の高校生の女の子が、テレビのインタビューに答えていた。
一向に片付かないガレキを前にして彼女はこういっていた。

「私は釜石が好きだから、これからもずっと釜石に住み続ける」

こういう子が沢山いる地域は、地域コミュニティが豊かな証拠。
こうした地域は何年かかっても必ず復活するだろうなと思う。

若い人とお年寄りの挨拶の違い 挨拶言葉+α

筆者 事務局

日常生活で感じている事。

ご近所での、若い人たちの挨拶は、特に親しい人でもない限り

「おはようございます」
「こんにちわぁ」
「どうもぉ」

等の挨拶言葉で済んで、特に違和感がない。

その背景には、「時間がない」「忙しい」
という事もあるかも知れない。
私もそのクチだ。

子供~40代までは、こういう人が多いのではないかと思う。
もちろん地域性もあると思うが。


しかし年輩の方々の場合はちょっと違う。

必ず

「おはようございます」
「こんにちわぁ」
「どうもぉ」

等の後に

「今日もあちぇのぉ」(今日も暑いのぉ)
「子供元気かのぉ?」(お子さんは元気?)
「やぁ最近腰いてぇて」(最近腰がいたくてねぇ)

などの言葉がつく。たとえそんなに親しくない相手でも。

必ず「挨拶言葉+α」なのだ。

この「α」が無くては、挨拶として成立しない、何かが足りない、そんな感じをお持ちなのではないかと思う。

会話としてはどっちが豊かか。

「挨拶言葉+α」であるのは間違いない。


なぜこのような違いが生まれたのか。

一言で言えば「心の余裕の有無」なのではないかと思う。

子供のときから時間に追われた生活をしていると、挨拶言葉の一言で済ませてしまう習慣が身についてしまう。


私もお年寄りを見習っていきたいと思う。

日本人の美徳は「察し」と「思いやり」。

αによって、相手の様子がちょっとでも伺い知れる。

このような、いい文化は継承していきたい。

西部邁ゼミナール ヴォランティア活動とは何か

筆者 事務局



北朝鮮からの脱北者支援をしている三浦さんの話に思わず共感。

「(脱北者との人間関係)はだいたい失敗に終わる。2年か3年持てばバンバンザイ。逆に2年か3年だったら別れたほうがいい。別れないと主従関係ができてしまう」

「ボランティア相手ではなく、社会に溶け込んで一般の日本人の友達を作ったほうがいい」

障害者の世界にも同じようなことがあると思う。

現実的には「当事者が支援者の側に依存している」という依存関係にあるのに、当事者を尊重しようという支援者の側の態度によって、劣等感も手伝って当事者のプライドをいたずらに高めてしまうことがある。

その結果支援者に依存しているのにも拘らず、使命感を持って活動しているその支援者を見下したりイジめたり、というへんてこりんな人間関係が生まれている所がある。

支援者も、活動を「生きがい化」「居場所化」してしまっていて、仲間の確保、居場所の確保のためなら当事者からの理不尽な仕打ちにも耐えられてしまったりしている。

それはもはや「ボランティア活動」ではなくて「奴隷活動」なんじゃないの?

手話通訳者も、手話通訳活動を通り越して、便利屋さんや、ホステスになっちゃおしまいよ。

最近の西部さん、諦めモードの話が多く、ニヒリズムに陥っているように感じる。

それだけ日本がまずい状況にあるということか。

津波は「てんでんこ」

筆者 事務局

岩手の被災者のおじさんがテレビでこういっていた。

津波はほんとに「てんでんこ」

意味が分からなかった。「大変だ」という意味なのかなと思った。


「てんでんこ」は「てんでんばらばら(に逃げる)」という意味らしい。

いのちを守る知恵
http://rsy-nagoya.com/wisdom/tiiki/tiiki26.html

つまり津波のときは、他の家族を気にするな。
自分の身を守ることだけ考えろ。
そうすれば家族の誰かが生き残ることができる。

残酷だが、共倒れを防ぐには、これしかないのだろう。

津波は「てんでんこ」
津波は「てんでんこ」
津波は「てんでんこ」

悲惨な体験から生まれた、いのちを救う言葉。

津波で死ぬのは、体が利く若者

筆者 事務局

女川の親戚が無事だと確認できたのが先週の金曜。

安否確認まで、1週間かかった。

家は見事に津波に流された。


被災したおばが、以前からうちの父によく言っていたらしい。

「津波で死ぬのは若者」

逆説的だが、これが現実らしい。


今回の津波も、地震から津波まで30分以上あったそうだ。

地震後、一度避難したが、その後大丈夫だと思ってすぐに家に戻った人は、皆やられたとのこと。

特に若者は体が利くから、いざ津波がきても逃げられると思って避難しない人が多いらしい。


おばは足が悪いため、普通に歩く事も、走る事もできない。

だから地震がくると人一倍津波を用心する。

今回も地震後に家の人に車で避難所まで送ってもらい、じっとしていたらしい。


体の利かない人は、用心して命を保つ。

体の利く人は、油断をして命を失う。


油断は禁物だな、と改めて思った。

津波の恐怖―三陸津波伝承録 (東北大学出版会叢書)

放射能測定器 ガイガーカウンター アメリカ製 CDV-715 放射能

新潟県内の放射線測定値が確認できるサイト

筆者 事務局

地震後設置したモニタリングポストの測定値はここ↓

新潟県防災ポータル
http://www.bousai.pref.niigata.jp/contents/index.html
従来からある柏崎市周辺はここ↓

新潟県環境放射線監視テレメータシステム
http://www2.ocn.ne.jp/~ngtl-rad/

15日13:40現在、土合局で38nGy(ナノグレイ)。

単位がGy(グレイ)ですが、これはそのまま1:1でSv(シーベルト)に換算できます。

38nGyは38nSv(ナノシーベルト)。

これは0.038マイクロシーベルト相当。

原発が国に報告しなければならない基準が1時間に500マイクロシーベルトですから
まだ大丈夫。

甚大な被害 東北地方太平洋沖地震

筆者 事務局

家族、親戚の多くが被災地域にいる。
幸い兄弟や親とは連絡がとれた。
みな無事だった。

宮城県女川の親戚が心配。
家が海から50Mも離れていない。
無事避難しているといいのですが...

異なる思考回路を持つ人と、付き合うということ

筆者 事務局

図書館でたまたま、元警察官で中国人犯罪者の北京語の通訳をされていた坂東さんの本を読みました。

通訳捜査官―中国人犯罪者との闘い2920日

Youtubeで坂東さんの動画を見つけました。



人の良さそうな坂東さん。相当嫌な思いをされたのではないかと察します。

「いくら言葉ができても、思考回路が違えば、会話がなりたたない。」

私は、この坂東さんのお話に大変共感してしまいました。

この話、手話通訳者や手話サークルの皆さんを悩ませている、一部の問題行動の多いろうあ者と同じ話だと思ったからです。

個人的な経験なのですが、以前このブログで、以前勤めていた会社で起こった事を書きました。社内昇格試験のレポートについて、参考までに私が書いた文章をそのまま提出する事はしないでほしいという私の願いを無視して提出し昇格したという話です。

http://hdeducational.blog13.fc2.com/blog-entry-577.html

私は裏切られた思いで、その事を本人に問い詰めたところ、彼は平然とこういいました。

「俺が言いたかったことと全く同じだった。そのまま提出して何が悪い」

謝罪もクソもない。

もし「時間がなく、悪いと思ったがそのまま拝借した。すまん」
というなら、許せないこともなかったのですが、

「困っているから助けてあげよう」と、自分の行動を、自分の価値観だけに基づいて判断してきめた事が問題なのであって、坂東さんが言うとおり、相手の事をよく知る必要があったのだと思います。

そして知ろうとし努力しても分からなければ、距離を置くということも必要だったのだと思います。

いたずらに仲良くする必要はなかった。

坂東さんが、前官房長官の仙谷さんの「中国に対し自分が一歩引けば、中国も引くだろう」の誤った対応を例に出して説明されていますが、問題の大小・次元こそ違いますが、問題の本質は、私の失敗と同じなんだと思います。

日本の福祉ボラの世界では「障害者のことを理解するため、障害者の世界に飛び込むことはいい事だ」というような価値観があります。私もそれを信じて実際に飛び込んできました。

飛び込んだ結果、いま思う事は「相手をみた上で、飛び込まなければダメだ」という事。

多くの人の善意を、公共のために生かそうという姿勢のある障害者グループであれば、その善意はプラスに働くかもしれませんが、私欲のために善意に付け込むことに慣れている障害者グループにとっては「カモがねぎしょってやってきた」ということになる。

「障害者だから、相手の苦しみがわかるはず。思いやりがあるはず。だから、こちらの善意も分かってくれる」なんていうのは思い込み。その善意が通じる相手ならいいが、通じないなら、それこそ一方的に自分の価値観を押し付けていることになる。

こうしたトラブルが起こると多くの人は「ろうあ者は二度とご免だ」となりますが、同じ事が外国人との接触のなかでも起こるということになれば、その経験を生かそうと思えるのではないでしょうか?

日本の多文化共生は失敗する...と思う

筆者 事務局

福祉関係の活動をやってきた率直な感想。
自分の反省でもあります。

日本人には”異質な人たち"との付き合いの哲学がない。
日本人は”異質な人たち"を、ゲストとしては、扱うことはできる。
一時的なパートナーとしては、付き合うことはできる。

しかし、悲しいかな。
同じ地域で共に暮らす時には、必ず摩擦や利害関係が発生する。
すると日本人は利害調整できずに”ブツッ”と関係を切って終わってしまう。
衝突したときの免疫がない。

自分の誠意が受け止めてもらえないとわかった時点で、関係を絶ってしまう。

言語や文化の違う人たちと付き合う前に、日本人の中で、自分とは異なる人たち(帰化した人々、異なる世代、性別、障害、地域等)とどう付き合うかの方が重要。まずは、そっちのほうが先であると思う。

俗にいう”内なる共生”というのか。

日本人同士でも共生できないのに、よそ様の国の人と共生なんぞ、とてもできんだろう。
異国の人を積極的に受け入れる土壌はまだまだ、できていないと考える。
...TPPが心配だ

tag : 共生

偏見の効能 その2

筆者 事務局

世界のホテルに「最もマナーのいいのは、どこの国の旅行者か」というアンケートが行われたそうです。



最もマナーがいい国ベスト3

1.日本
2.イギリス
3.カナダ

日本人としては、うれしいですよね。

しかし、必ずしも全ての日本人がはマナーがよいワケではない。

中にはマナーの悪い日本人もいるはず。


しかし「日本人はマナーがよい」という評価を頂くことで

日本人旅行者の中に「自分がそ日本人の評判を貶めてはいけない」

という気持ちが働き、日本人同士お互い気をつけるようになる。



反対に、マナーが悪いベスト3は

1.フランス
2.スペイン
3.トルコ

しかし同じく、必ずしも全てのフランス人がマナーがよいワケではない。

中にはマナーのよいフランス人もいるはず。


しかし「フランス人はマナーが悪い」という評価を受けることによって

フランス人旅行者の中に、「フランス人として恥ずかしい」

という気持ちが働き、フランス人同士お互い気をつけるようになる。



こうした「●●の国の人は、○○だ」という評価、「偏見」と言えば、「偏見」と言えなくもない。アンケートに答えたホテルマンが全ての国の旅行者に会ったわけではないだろうから。

しかしそれによって、プラスの効果があるのであれば、それは意義のあるものとなる。

売名行為

筆者 事務局

昔からある、花壇に花が咲いてるのは、自然だが

昨日まで荒地だったところに、突然花が咲いているのは、不自然。


NPOに求められることの1つが情報公開。

さらに人や資金を集めるためにPRなども行ったりする。


しかしこういう活動は、時に”売名行為”と見られてしまい

人によっては、いいイメージを持たない場合もある。


また地域の人間関係に配慮して、あえてPRをしないという選択肢を選ぶ場合もある。



不特定多数のあつまる都会であれば、なんとも思われないPR活動なんだろうが。


PRの方法も、相手にあわせた、バランスの取れたPRが大切なんだなと思う。

手話使用を禁じたミラノ会議議決を却下 ~2010世界ろう教育会議声明~

筆者 事務局

カナダのバンクーバーで,今月7/18-22の間、開催された世界ろう教育会議。

そこで出された声明

ろう者の教育プログラムへの参加と協力
http://www.nad.org/sites/default/files/2010/July/ICEDNewEraVancouver2010.pdf

日本の聴覚障害児教育の手話否定のきっかけにもなった、ミラノ会議。

はっきりと、「ミラノ会議の議決をREJECTする」とあります。

署名をみると
・2010世界ろう教育会議の実行委員会
・カナダのブリティッシュコロンビアのデフコミュニティ
・カナダろう連盟
・世界ろう連盟
なんですね。

ミラノ会議のときは、殆どが健聴者の聾教育関係メンバーでしたが
このバンクーバー会議は、ろう者が中心なのかな。
”口話教育を否定する”なんていう一文が入らなくてよかったです(^^;

世界の発展途上国では今現在手話が当たり前で、今一生懸命先進国から補聴器を援助してもらって先進国で行われてきた昔ながらの教育を進めようという国があります。そうした国々が、同じ轍を踏まないようにしないといけませんね。

(以下、内容一部抜粋、私訳です)
1880年イタリア・ミラノで行われた世界ろう教育会議の議決は

・世界のろう教育プログラムから手話を排除した
・世界のろう者市民にとって有害となった。
・世界中の教育を管轄する機関の教育の思想や計画から、ろう者市民を排除した。
・政府の計画、意思決定、職業訓練など機会へのろう者市民の参加を妨害した。
・ろう者市民の職業的成功の障壁となり、目標を持って生きることを妨害した。
・各国の国内における多様性に対し、ろう者市民が十分に文化的・芸術的貢献をすることを妨害した。

したがって、我々は

・ろう教育プログラムにおける手話の使用を否定した、1880年のミラノ会議での全ての議決を却下する。
・ミラノ会議の悪影響を認識し、真摯に反省をし、そして
・すべての国々に対し、この歴史を記憶すること、そして教育プログラムにおいて全ての言語とコミュニケーションの形態を尊重することを喚起する。

以上。

「自立支援」の意味が変わってしまった

筆者 事務局

もともと日本の福祉制度は、不平等なところがある。

その原因の1つは、日本の行政や政治の
「声の大きい人の話はきくが、それ以外は無視」
という慣習の影響が大きいと思う。

もとはといえば、そういう政治家を選んでいる国民に責任があるわけなのだが。

障害者自立支援法は、障害者の生活の実態を知らない人が、数字だけみて帳尻あわせで作っちゃった法律なのではないかと思う節がある。

おかげで福祉関係の業界では「障害者自立支援法」の名前のおかげで、「自立支援」という言葉の意味が変わってしまった

「自立につなげる支援」という意味から、「自立を目的としながらも、自立につながらない支援」という意味になってしまった。

「自立支援」に変わる新しい言葉、さがさなきゃいけんなぁ。

盲ろう学校&ストリートチルドレンとのワークキャンプ(フィリピン)

筆者 事務局

東京にあるNPO団体、特定非営利活動法人アクションさんのイベントを見つけました。

ろう学校&ストリートチルドレンとのワークキャンプ(フィリピン)
http://www.actionman.jp/ninostatagcamp.html

締め切りが今月16日。一度参加してみたいなと思います。

国際支援は、つまりその国に住んでいる人々の福祉の支援活動。

日本のNGO団体が海外の途上国で活動をしていると、健常者も大変ですが障害のある人たちはさらに大変なことがわかります。

そこでなんとかしようということになり、活動をはじめる。

でも自分の国ではないから、深いところまでは突っ込んで活動できない。

「じゃ日本の障害者は、どうなってんだろ?」と思って日本の福祉に興味を持つ。

こういう人たちは、視野の広い人たちが多いように感じています。

こういう人たちの視点を取り入れることで、日本の福祉関係者は、新しい風を吹かせることができるように思います。



当事者尊重で活動した結果、支援者が当事者のエゴに振り回されているということは

それまでの活動が”自立につながる支援”ではなかったということだと思っています。

当事者団体から出てくる方針をいたずらに奉じて、いたずらに支援した結果である、と。


日本よりもハッキリとエゴが見える途上国で支援活動をするNGOのスタッフ教育の中では、「悪戯な支援が自立を損ねる」という事は基本的なこととして教えられています。

しかし、日本の福祉ボランティア教育では「障害者の悲惨さ」「当事者尊重」「弱者支援の美徳」が語られるだけで、こうした現実的な支援の問題について語られることは、あまりありません。

海外で活動してきた人たちから学べることは沢山あると思っています。

マイノリティ支援で、必ず支援者がぶちあたる問題 その1 ~怨念~ 

筆者 事務局

先日、在住外国人問題の意見交換会に参加したとき、意見を求められた。

そこで「聴覚障害者など言語弱者の支援で今起こっている問題は、おそらくこれから増えるであろう移民の人たちの支援をするときにも起こると思う」という話をした。

どういう問題なのかについては時間がなくて話ができなかったが、起こるであろう問題の1つについて、このブログで触れようと思う。


多くの支援者がぶちあたって、思考停止を来たしている問題。
そしてこれは、活動をやめるきっかけにもなっている。

それは、マイノリティ側がマジョリティに対して潜在的にもっている「怨念」。

支援者を「怨念」のはけ口にするのだ。

この「怨念」は、普段は顔を出さないが、やっかいな問題が出てくると必ず顔を出してくる。そして問題を複雑にする。

行政の人などは「感情の問題」で片付けてしまうのだろうが、八ッ場ダム問題やパレスチナ問題をみればわかるように、現場で活動している人にとっては、それこそ活動の成否に関わる問題になってくる。

多くの支援者はこの「怨念」に対し、

「つらい思いをしてきたのだから、仕方がない」と許容し譲歩してしまう。

怨念の背景を理解することは必要だが、それを許容し譲歩することは、多くの場合マイノリティの弱者権力化を助長するきっかけになり、お互いにとってよくない。

「自分はマイノリティの側に愛情もあり、立場も対等である」と思っている人ほど「怨念」のはけ口としては、格好の対象になる。

「わかってるふりすんじゃねーよ、お前に何がわかる、この偽善者が!」という話になる。

本当に対等だと思うのであれば、怨念が生まれた背景を理解した上で、いたずらに許容したり譲歩したりすべきではないと思う。

私自身この「怨念」に基づいた行動、例えば「自分たちは差別されてきたのだから、自分たちが他の人たちをちょっとくらい差別したり、この程度のワガママであれば、許されてもいい筈」と、次から次へとエゴを出してくる人間達に対して、どう対処したらよいのか、かなり悩んできた。

今は、障害者だろうが、被害者だろうが、自分の価値観に照らしてダメなものはダメだとする立場を崩さないことが、お互いの理解の出発点だと思っている。

「理解がない」とか「差別だ」と言われても、いたずらに理解を示すことはやめている。

例えば、聴覚障害者の世界にはこういう問題がある。

---

日本手話指導の世界では、これまで日本手話が言語として認知されてこなかったことの理由は、日本手話と日本語対応手話が混同されてきた事にあるとして、日本語対応手話やシムコム(声を出しながら手を動かす)を敵視する人たちがいる。

聞こえる人への手話指導は、日本語対応手話が多いので、手話人口としては日本語対応手話を使う人の方が圧倒的に多くなっている。いたるところに日本語対応手話が氾濫している状況であれば、日本語対応手話に対する悪い感情を持ってしまう理由は理解できる。

こういう状況下で、日本手話指導の指導者クラスの人間達の中には、日本語対応手話しかできない聴覚障害者や手話学習者に対してあからさまな差別的行動に出る人間がいる。

日本語対応手話話者の手話の真似をしてバカにしたり、話しかけられても無視をしたり、悪質なケースでは、手話指導時に、自分の嫌いな手話通訳者や聴覚障害者の名前を平然と使い「悪口例文」を作って、学習者に呈示する手話指導者までいる。

こうした行動に対し、日本手話を学んでいる手話学習者の多くは、差別があることを知っていながら沈黙している。

差別する側にとっては「日本手話が認められてこなかった」という「怨念」がある。
昔、日本語対応手話を指導する聴覚障害者や手話通訳者の中に、日本手話をバカにする人がいたのも事実。
だからとって、日本手話で話したくても出来ない手話話者への差別は、どう転んでも正当化できるものじゃない。

日本語対応手話を使う聴覚障害者を差別する日本手話指導者は
どんなに指導スキルがあろうが
カリスマ性があろうが
非難されて当然だと思う。

その差別的行為を正当化できる根拠はどこにもない。







本の紹介「ろう者のトリセツ聴者のトリセツ」

筆者 事務局

ろう者のトリセツ聴者のトリセツ―ろう者と聴者の言葉のズレ

コトバや考えのズレって、問題がおこってからでしか、わからんのよね。

人は、分らんこと疲れることは本能的にスルーしますから。

いまから6年前、中越地震で山古志村の人たちが全村避難しました。
山古志村の人たちは陽光台の仮設住宅にまとまって住んでいましたが
このときにおこったこと。

こんなに近い長岡市(今で言う旧長岡市)在住のボラと、山古志村のじいさんばあさんの間で、コトバがつーじない。おたがいイライラしちゃって。

聴者同志でさえ、そーなんだから、コトバも育った環境も何もかもちがう、ろう者と聴者でコトバや考えのズレが起こるのはあたりまえ。


この「ろう者のトリセツ聴者のトリセツ」という本、手話通訳者や手話学習者の間で評判のよう。

それは内容が「そうそう!そうなのよ!」と共感できるからなんじゃないかしら。

与党幹事長の鶴の一声で、これかよ!?

筆者 事務局

あれほど国土交通省大臣の前原さんが、「見直しはない」と言っていた高速料金の話が、見事に覆った。

与党幹事長の鶴の一声で、法律で定められた意思決定のプロセスを通じてきまった決定事項が覆るなんて、ちょっとまずいんじゃないかい?日本はいつから人治国家になったのやら。

<高速道路>新料金6月断念 導入は参院選後に先送りか
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100518-00000142-mai-pol

 高速道路の新料金制度を巡り、前原誠司国土交通相は18日の閣議後会見で、当初予定していた6月の導入を断念する考えを示した。実質値上げに小沢一郎・民主党幹事長が異論をはさみ、新料金導入の前提となる道路財政特別措置法改正案の審議入りのめどが立たないため。当面は現状の「休日上限1000円」などの割引が継続される見通し。

「知ったかぶり」も方便のうち?

筆者 事務局

「知ったかぶり」は格好わるい。


でも、相手の話に乗るためにちょっとは「知ったかぶり」したほうがいいときもある。


たとえば、初対面の人と雑談をしていて

その相手が共通の話題をみつけようとして

「○○について、ご存知ですか?」

と言って、こちらが知らないとき。


バカ正直に

「初耳です」

とか

「知りません」

とかいうと、それ以上話が広がらない。


とくに

「知りません」

は、言い方によっては、相手を拒絶することになってしまう。


そんなときの私のセリフ

「あ、きいたことあるような気がします」

本当は全然ないんだけど(^^;


または、もてる知識を総動員して

「ああ、もしかして、あのことですかね!?」と話にのる。


でもこれ相手によっては「知ったかぶりしてる」と

受け止められてしまうのよね。


つまりコミュニケーションなのよ、コミュニケーション!!

この場合「知ったかぶり」も方便のうちなのでは?



場を盛り上げられる話がすぐにできる人

いい空気を作れる人なら

どうにでもなるんだろうけど(^^)


やっぱりこれも訓練かな。

お父さんが娘のために焼くパンケーキ

筆者 事務局

ユニークなサイトの紹介です。

娘のアリスちゃんのために、お父さんが色々なパンケーキ作りにチャレンジしています。

Jim's Pancakes
http://www.jimspancakes.com/

 Alice and Pancakes><br /><br /><br />かわいいですね(^^)<div class=

修造さんに元気をもらおう!



これまで起こったことは、すべて起こるべくして起こったこと。

前向きにいこ!

弱者権力の濫用を許すものは何か? その3

筆者 事務局

問題のある当事者団体がある。

同じ仲間のはずの他の当事者達を虐げている。


そのような団体とは組めないと思い

その団体とは別で活動していると

その団体を支援している人たちがよく言う。


「怖くないの?」

「あの団体に逆らったら、私この地域でもう活動できない」


そういう人間は弱者支援の活動をする資格はないと考えている。


学校にイジメッ子がいて

障害のある子を苛めているとする。

イジメッ子の言うことをきかないと

自分が苛められることになる。



「怖い」から、ノーと言えないという人は

そのイジメッ子と一緒に障害のある子をイジめる子供と同じ。


差別をなくすための活動をしているのに

身内の差別を見てみぬふりするような団体に

差別をなくす活動が、できるはずがないでしょ。

他人の問題をネタにして、生きがい作り、居場所作りをしちゃいかんよ。

弱者権力と、その濫用について その2

筆者 事務局

なぜ弱者権力が濫用されてしまうのか、支援者側の原因。

「弱者団体のエゴイズムを許すことが、支援者集団の中の暗黙の了解になっている」

子供扱いは、自立を損なう。

大人として扱うべし。

国際協力分野と福祉分野の意外な関係

筆者 事務局

先日、県国際交流協会のSさんから、JICA隊員募集説明会の案内を頂いた。

ありがとうございます、Sさん。

パンフに添えられたSさんから手書きの手紙にこういう言葉があった。

福祉分野と国際協力分野には重なる点が多いと思います....」

さすが外国で修行してきたSさんたち元協力隊員は、視野が広い。


パンフみながら、感じたことを以下記します。


これまで、日本に住む情報弱者(聴覚、視覚、知的、子供、お年寄り、身寄りが無く孤独に暮らしている人たち等)の問題と日本在住の外国人の人たちなどの日本語弱者の問題には共通点があることを、機会ある度にお話してきたが、私の説明が下手なようで、いまいちピンとこないというお話を頂いている。

・外国人は日本語が分らないだけで、障害があるわけではない。
・障害者は日本人だが、障害がある。

この2者が頭の中でどうも上手くつながらないよう。

国際協力福祉分野が関係あるという、わかりやすい話、できればなと思っています。


例えば、JICA国際協力機構)があります。

海外へ毎年隊員を派遣しています。

そこで彼らは何をしているのか。

一言で言えば、その国の国民の生活レベルの向上、福祉向上のために活動しておられます。

農業指導や技術教育などの職業教育、学習指導などの学校教育は、すべてその国の国民が安泰に暮らせるための”生活・福祉向上”のための活動といえます。

つまり、彼らは外国の福祉分野でプロとして活動してきている。

日本の福祉関係者は学ぶところが多々あるのではないかと思っています。

tag : JICA 国際協力 福祉 協力隊員

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